父の句・冬(6)
次々と磨くもの増ゆ十二月*
理久女の碑供華のあふれし十二月*
追ふものの潜む師走の病舎かな*
点滅はわが心にも街師走
トランクより自転車降ろす師走騒
ひとつづつメモ消してゆく師走かな
病棟にて師走の影に追はれたり
最初の句は大掃除の一風景でしょうか。
二番目の句の理久女(りくじょ)は、大石内蔵助の妻のこと。彼女の出身地である豊岡の碑にもお供え物があふれるというのは、赤穂浪士の討ち入りの日(12月14日。ただし旧暦)か、その近辺なのでしょう。
最後の句は平成15年3月の投稿。その前年の9月から入退院を繰り返していた頃の句です。この時期、身体はしんどかったはずですが、意外に多くの句を作っていたようです。
釈迦覚り日本迷ひし八日かな
過つも覚るも師走八日かな
疎き眼に師走八日の写経かな
日曜の日直なりし開戦日
軍艦マーチに湧きし日ありき成道会
みな12月8日を主題にした句です。釈迦が悟りを開いた日とされ、成道会(じょうどうえ)が行われるのが8日。日本が真珠湾攻撃に踏み切り、太平洋戦争が始まったのも8日。
理久母子に続く但馬の義士の列*
義士の日の理玖女の墓に供華あふる*
義士の日や花岳寺苑に吉良太鼓*
着ぶくれて義士行列を待ちをりぬ*
義士祭の赤穂へ遣る理玖むすめ
「義士の日」は赤穂浪士の討ち入りがあった12月14日で、冬の季語です。花岳寺は赤穂の寺で、播州浅野家や大石家などの菩提寺です。
ところで、「義士祭」というのは、東京・泉岳寺で4月にも行われています(理由はわかりませんが、浅野内匠頭の切腹が3月14日(新暦の4月21日)なので、それが関係しているかもしれません)。それで、単に「義士祭」なら春の季語とされているようですが、最後の句の赤穂での義士祭は12月なので、やはり冬の季語となります。
三脚の風に揺るがず社会鍋*
両手もて入れる幼の慈善鍋*
早発ちの顔見世睡魔見え隠れ
お歳暮に小さき熊手添へてあり
お歳暮を当てにされをりシクラメン
慎重に歳暮の包装解かれけり
12月頃になると、社会福祉団体などが募金用の鍋を設置します。近くの幼稚園や保育園などの子どもたちが、そのセレモニーのときに駆り出されることもあります。この社会鍋、慈善鍋なども冬の季語です。
三番目の句の顔見世(かおみせ)は、歌舞伎で役者の交代の後、新しい顔ぶれで行う興行のことで、11月から12月頃にかけて独特の字体の看板(まねき)が掲げられます。早朝に出発したので、眠気が出ているのでしょうか。
お歳暮も年末の風景です。もともと花好きの父は、花を当てにされるのも楽しんでいたのでしょう。
最後の句。お歳暮に限らず、この手の包装を父は慎重にきれいに解いていきました(私が慎重にはがそうと思っていてもバリバリと破れてしまいます)。